<浙江省・寧波>
寧波の名は日本人には懐かしい。「天の原ふりさけ見れば春日なる……」。阿倍仲麻呂は望郷の念抑えがたく「明州」から帰国の船に乗る。この明州が現在の寧波である。
時代は下って宋。若き日の道元。こちらは求法の念やみ難く波濤を越えてやって来る。
天童寺は寧波から二十キロ。そこで座禅三昧の修行に励む。師は如浄。長い行脚の末ようやく巡り会えた禅師である。如浄の禅は厳しい。起床は午前二時半、坐禅の修行は夜の十一時まで続く。
ある早暁、修行僧の一人が疲れからか居眠りをしてしまった。これを見た如浄は、雷のような一喝を浴びせる。「参禅は身心脱落なり。眠りをむさぼって何の役に立つのか」。
この瞬間であった。道元は「身心脱落」の悟りを得る。身心脱落は脱落身心であり脱落脱落でもある。曹洞の禅が道元を貫く。曹洞の禅が日本へ伝えられる機縁でもあった。
行ってみると、天童寺は竹の林の中にあった。現在でも百名の僧が修行に明け暮れている。そう、人は自分で修行するしかない。冬の雨音の中寺は更に静寂であった。如浄の一喝。今立っているここで起きた小さな一事。八百年前。もしもその僧が居眠りをしなければ……。不思議な感慨に包まれながら山を下りた。
寧波の町へ向かう。私は久しく寧波を夢想していた。河を埋め尽くすジャンクの群れ。港町の雑踏。行ってみて驚いた。ジャンクも港もない。河の両岸は芝生を植えた公園になっている。「港はどこへ行っちゃいました?」。「海に近い所へ」。
地元の人が胸を張って言う。今の寧波はアパレルの町なのだ、と。中国の背広の七十パーセントはここで作られる。「大量の衣料が日本に輸出されています」。昔は仏教が、今はアパレルが……。いや、拘ることはない。天童寺の仏殿が想い出された。それでいいのだ。「身心脱落」。
(写真は上の二枚は天童寺・下の一枚は寧波の港があった辺り)
(中日新聞・東京新聞の2003年1月12日日曜版に掲載)