<新彊ウイグル自治区・カシュガル>
町角に立って、そこに居る人、道ゆく人を見ているだけで飽きない。そういう街があるものだ。カシュガルはそんな街のひとつだ。
シルクロードを西に向かう。天山山脈をはさみ道は二つに分かれる。北麓に天山北路。南麓に天山南路。天山南路はタクラマカン砂漠の北の縁を、大小幾つものオアシスを点から点へ繋ぎながら西へ西へと延びている。タクラマカンというのはウイグル語で「入ると出られない」という意味なのだそうだが、さしもの大砂漠にも果てがある。その果てるところにある町がカシュガルである。
市の中心にあるエイティガール寺院は中国最大のモスクとして名高いが、ほかにも町の至る所にモスクがある。その数は五百をこえるという。人口二十五万人の町にしては不自然なほどに多い。そのひとつひとつにアラーの神への祈りが満ちている、と考えると不思議な感慨を覚える。
「遠くへ来たなあ」と思う。
乾いた空気。黄色い風。女たちの原色で縦縞の民族衣装。紫髯緑眼の人の群れ。小さなロバに跨る立派なあごひげのウイグルのお爺さん。町全体が見せ物小屋のようだ。
麻の袋に盛られた色とりどりの香辛料。琵琶やチャルメラ、タンバリンなどの西域の民族楽器がならぶ楽器屋。竈で焼きあげたナンが積み上げられている。ハミ瓜やらザクロ、イチジクなどが甘い香りを放っている。やたらに目につくのが、ナイフを売る店と、帽子を売る店。ともにウイグルの男にとっては身から離せないものだという。町全体がバザールのようだ。
アラーの神への祈りもそうだ。お爺ちゃんを乗せたロバもそうだ。ナイフ屋もそうだ。彼らにとっての日常が、私にとっては物珍しい。「自分は旅人なのだ」。カシュガルはそういう思いに浸れる町だ。
(中日新聞・東京新聞の2002年6月9日日曜版に掲載)