<内蒙古自治区・夏のシリンホト>
見渡す限りの草の原が緩やかな起伏を打って続いている。満目の緑。その緑が、風が吹くと一斉に揺れる。地平線までの草の原が揺れる。蒙古の草原は、果てしもなく広い。
その草原でモンゴル人は羊の群れを追う。
彼らを見ているといつも思う。羊飼いとは何者なのだろうか、と。日が出ると羊を追い、日が沈むと帰る。それを三百六十五日繰り返す。雨の日も風の日も。それが一年。それを五十年繰り返す。それが一生。
私たちとは何とかけ離れた生の姿だ。彼らの頭の中には何があるのだろう。何を思い、どんな夢を見ているのだろう。
そんなことが知りたくて、ある羊飼い一家のパオの隣にもう一つパオをたてさせてもらいそこに一週間ほど寝起きをしたことがあった。
朝は朝靄。朝靄の草原に羊を放つ。その一家の羊は四百頭。四百頭の羊の出立は壮観だ。昼は真っ青な空に白い雲。その下で彼らは馬を駆り、馬の群れを追って草原を疾駆する。夕は夕焼け。大きな空が真っ赤に染まる。そのなかで女たちが牛の乳を搾る。乳首をリズミカルに引っ張る女たちの指。白い線が交差しながらひざに抱えたブリキの桶に飛んでゆく。赤い光のなか、子牛がウメエと甘え、母牛がウォーと応じる。
草原では時間がゆったりと流れていた。草に染まり草に酔う。風に吹かれて草と一緒に揺れる。夕焼けの赤に身も心も奪われる。そんな日々だった。
五、六年経った今でも夕焼けを見ると、蒙古の真っ赤な空を思い出す。思い出しながらいつも不思議な思いに引きずり込まれる。蒙古はいかにも異境の地だ。私たちとは異質な時が天地に満ちていた。それにもかかわらず、赤い光のなかで女たちが乳を搾るあの夏の夕暮れは、なぜこうも懐かしいのだろう、と。
(中日新聞・東京新聞の2002年7月7日日曜版に掲載)