<雲南省・麗江>
麗江の街は美しい。街々に水路があり、その流れに沿って石畳の路地が迷路のように続く。その路地の両側には明の時代からの、長い歳月に燻されたような木造二階建ての民家が軒を連ねる。時間のなかに迷い込むように路地を曲がると、奥の石段に紺の民族衣装をまとったナシ族の老婆が腰掛けていたりする。まるで、三百年前からそうしているように。見ると、その隣には長髪にモジャモジャの髯、いかにもヒッピー風の白人の若者が隣に座っている。
「なかなか面白い構図だ」。そんなふうに感じながら、ふと思った。昆明からの航空便が就航する大分以前から、日本や欧米のバックパッカーが大きな荷物を背負い、麗江へ麗江へと吸い寄せられるようにやってきたものだった。あれは、何だったのだろう、と。
昆明に戻って、中国の友人にこの話しをすると、こんな答えが返ってきた。
「ナシ族は、母系社会の影響を残しています。女はよく働くし主人公なのです」
そう言われてみれば、女性ばかりが印象に残っている。市場へ行けば、物を売っているのも女。
買っているのも女。古街を散策すれば、戸口に腰掛け芋の皮をむいているのも女。薪を割っているも女。
「男は?」
「ボーッとしているだけです」
確かに。思い出そうとしても、男はほとんど印象に残っていない。いたのだろうけど。
「それとヒッピーと関係あります?」
「彼らは文明を離れ、競争原理から逃れ、母親の懐に帰りたいのではないですか」
なるほど。あながち荒唐無稽な説とは言い切れまい。ともかくも、この街全体が、何とも曰く言い難い不思議な潤いと安らぎに包まれていることだけは確かなことである。
そう、麗江には老婆とヒッピーがよく似合う。
(中日新聞・東京新聞の2001年3月25日日曜版に掲載)