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| 一期一シャッター過去ログ (2010年1月〜) | |
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2010年7月28日 (ぬいぐるみ) |
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40度を超えるのは久しぶりです。暑い暑いと思って外を歩いていましたら、日傘をさしてぬいぐるみを抱えているお嬢さんがいまして。どういうことでしょうね? 好きで好きで一時に離せない? 昼食の帰りに買ったばかり? とにかく熱いでしょうね。 |
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2010年7月26日 (夏休み) |
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お昼に子供が事務所に入ってきました。何かというと、お弁当の配達なんですね。誰かが注文したのでしょう。彼が手にしているのがそれです。夏休みで家の手伝いをしているのでしょうか。それにしても、勤と住が分化していない、と言うことなのでしょうね。オフィス街にも小学校があり、住宅街にもオフィスビルが建ち並んでいる。今の北京の街の雰囲気を創り出している一つの要素でしょう。 |
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2010年7月13日 (毎日がお祭り-2) |
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社交ダンスの隣ではディスコのグループが。こちらは皆女性ですね。音量をガンガン上げましてね。隣では社交ダンスが、こちらも負けずと大音量で。一方がワルツで、一方がディスコで。グジャグジャですね。でも、やっぱり、隣同士でやる方が愉しい。何はともあれ、とにかく、人がいっぱいいるのが楽しい。だから、毎日がお祭りなんですね。 |
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2010年7月7日 (毎日がお祭り) |
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夜の十時前。ビールを買おうと近くのコンビニに歩いていったと思ってください。すると、道路の交差点のチョットしたスペースで人々が社交ダンスをしています。「納涼盆踊り大会」ならぬ「納涼社交ダンス大会」と言うことでしょうか。違うのは、一方が三日間で、もう一方が三ヶ月であること。6月の半ばに始まり秋風が吹くまで毎晩やるのだそうです。「おもしろうてうて やがて悲しき 鵜飼かな」。芭蕉の句ですね。祭りは悲しいものです。でも、悲しんでいるまもなくまた祭りが来る。それも悲しい? |
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2010年7月6日 (42度) |
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天気予報では42度でした。外に出ると風はあるのですが、これが熱風でして……。みんな口を開けて、あえぐようにして歩いていました。 |
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2010年7月2日 (秋空?) |
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今日は強い陽差しの一日でした。40度にはなったでしょう。ただ、夕方になってふと空を見ると……秋の雲が。絶頂はすでに滅びを含む。自然が教えてくれる真実のひとつです |
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2010年6月24日 (34度) |
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今年の夏は余り暑くありません。今日も34度。例年今頃ですと40度になるのですが。過ごしやすくて良い? そうですが、何か物足りない気もしますね。せっかく麻婆豆腐を食べているのに余り辛くないような……。 |
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2010年6月2日 (西山) |
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アパートから西を望む夕方の景色です。雲の間から光が帯になって西山に降り注いでいる光景に驚きシャッターを切ったのですが、うまく光が撮れていませんね。西山がこれほどハッキリ見えるのも驚きです。空気がキレイになったのでしょうか? |
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2010年5月31日 (圧倒的な緑-2) |
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この季節になると街が緑の海のようになります。誰だ、この森を街と呼ぶのは、と言ったのは芥川龍之介でしたでしょうか。それは間違いなくこの季節のことであったでしょう。アパートから見た景色ですが、左に見えて赤い屋根の建物はどこかの大使館です。どこの大使館でしょうね。今度調べておきましょう。空も夏の空になってきました。 |
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2010年5月06日 (圧倒的な緑) |
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北京は、いつの間にか、圧倒的な緑の中にあります。変わり身が急でして。徐々に変わるというよりも、舞台がグルッと廻るように様子が変わります。昨日までコートを着ていた道行く人も、今日には半袖になっていて。人も変わり身が早いです。 |
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2010年5月05日 (頤和園-2) |
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水に柳に丸い橋。江南の風情ですね。「頤和園は乾隆帝が思い抱いていた江南地方への憧れを具現化した庭園でもあった」。確かにものの本にはこう書いてあります。隋の煬帝が大運河を掘ったのも憧れた江南への通路を造るためだったといいます。強者は北にあり、同時に常に南への憧れを抱いていた、ということでしょうか。頤和園には何十回来たがわかりませんが、「ああ、江南の風情だな」と感じたのは初めてのことでした。季節のせいでしょうね。柳を芽を吹く。だとすれば、皇帝たちが憧れたのは、江南というよりも江南の春だったのかもしれませんね。冬の寒さが厳しい故にですね。そして、私が初めて「江南」を感じたのは、今年の冬が余りに寒く春の訪れを待ち望んでいたからかもしれませんね。 |
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2010年5月04日 (頤和園) |
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頤和園に行ってきました。連休ですから。今は、市内から地下鉄で行けるのですね。先ず驚いたのは、柳絮が凄いこと。写真で分かりますでしょうか。目にも鼻にも耳にも柳絮が入ってきます。アイスクリームを舐めていますと、柳絮をまぶしたよういなアイスクリームになります。柳絮の季節はいつもこのゴールデンウィーク。柳の芽が出るのは例年より3週間ほど遅れている感じでしたが、ここに来て春が柳に追いついた、そんなところでしょうか。 |
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2010年4月30日 (春が来ました-3) |
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銀杏が芽吹きはじめました。赤ちゃんの葉っぱが、ちゃんと銀杏の形をしているのですね! 驚きました。「栴檀は双葉より芳し」。ちょっと違いますか? 「蛙の子は蛙」?会社に戻ってスタッフに言ったら、「驚くことはないのではないでしょう。銀杏の木からバナナの葉が出てきたら変でしょう」。銀杏の木からバナナの葉が出てきたらもっと驚くでしょうね。でも、そういう驚きではなく、銀杏の葉はこの世に初めて顔を出す時から銀杏の姿であるということを還暦を迎える歳まで知らなかった、あるいは、少なくとも意識しなかった、という驚きなのでしょうか? つまり、歳を取らないと驚かない驚き? |
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2010年4月29日 (春が来ました-2) |
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ライラックの花が盛りです。入り口は遅くとも出口は同じかもりしれませんね。夏がそこまで迫っている。ただでさえ短い春が今年は更に短くなって、今の北京は、その瞬くだけの短さの中で競うように争うように花が咲いています。迎春花も桃もライラックもモクレンも海棠も。 |
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2010年4月23日 (春が来ました) |
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今日は昼間の温度が20度になりました。柳以外の木も芽を吹き始めました。ビルの上から眺めていると、みるみるうちに緑が広がっていく感じです。4月14日に同じ場所から撮った写真が「一期一シャッター」過去ログにありますのでご覧になってください。 |
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2010年4月22日 (春はいつ来る-5) |
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朝からの雨でした。日本だと「雨で嫌だな」と思うわけですが、北京ですと「今日はいい日だ」と。ホコリはたちませんし、空気は湿気を含んで喉や肌にしっとりと……。その雨を通して見える風景は、そう、次第に緑が濃くなってきました。 |
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2010年4月19日 (春はいつ来る-4) |
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柳の柔らかい葉が光を通して輝いています。窓を拭く人も、どこか心を弾ませながら仕事をしている、そんな雰囲気になってきました。ヤッパリ、春は来るものなのですね。 |
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2010年4月16日 (春はいつ来る-3) |
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モクレンの花が咲きかけているのを見つけました。ウエスティンホテルの玄関前です。どうやら、歩みは遅いとはいえ逆向きに進んでいるわけではなさそうで……。 |
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2010年4月14日 (春はいつ来る-2) |
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ビルの給湯室からの眺めです。二本の柳の木にだけ春が降り立ってきた。そんなところでしょうか。 |
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2010年4月13日 (春はいつ来る) |
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快晴ですが強く、冷たい西風が吹いています。4月も半ばというのに柳が芽を吹いたほかは固く芽の蕾を閉じています。例年ですと、気の早い人は半袖で歩いている頃なののですが……。 |
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2010年4月4日 (柳) |
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今朝初めて柳の芽が吹いていることに気がつきました。今年はずっと寒さが残り、春は北京を忘れてしまったのではないだろうか、と心配していましたがどうやら忘れていなかったようです。場所は建国門の大使館街なのですが、キューバ大使館のようですね。カストロさんが写っています。 |
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2010年3月29日 (貴州の旅-121) |
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「畑に入ったら1人1元」。写真を撮りたくて入る人がたくさんいるのでしょうね。折角の風景ですが、「欲張り」なのか「必死な訴え」なのか、「ブチ壊し」なのか「ユーモア」なのか。まあ、絵としてみればこの看板、悪い部品ではないですよね。 |
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2010年3月25日 (貴州の旅-11) |
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今中国で、菜の花といえば先ず浮かんでくるのは羅平というところです。貴州省ではなく雲南省です。前日に泊まった興義からバスで3時間。省の境を超え羅平に着きます。貴州と同じカルストの台地、桂林のように山がポコポコとしているところにそれこそ見渡す限り菜の花が咲いています。この羅平の菜の花、何が凄いかと言いますと、上からの指示で同じ種類の種を同じ時期に撒くのだそうです。観光産業のためです。貴州省にも気の遠くなるくらい広い範囲に菜の花は植えられているのですが、ここはそれぞれの農民が好きな種を好きな時期に撒くため、総面積では負けないのですが一斉に咲き揃うという点で雲南省にかなわない。「残念ですね。悔しいですね」というのが貴陽から一緒に案内して来てくれたガイドさんの話でした。 |
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2010年3月22日 (黄砂-2) |
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今日も黄砂でした。事務所の午前中の窓から様子です。部屋の中にいても砂の匂いに囲まれています。一昨日の空は一面黄色でした。それが昨日にはなくなっていて青空ものぞいていました。「あの黄砂はどこに行ったんだ」と訝しく思っていたら日本に飛んでいっていたのですね。そしたら今日は、また黄砂。砂漠は広いですから、いくらでも砂はあるのでしょう。 |
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2010年3月20日 (黄砂) |
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朝外を見ると黄色い世界でした。これだけ本格的な黄砂は今年初めてでしょうか? 外に出ても黄色いメガネをかけて歩いているように風景が見えるのです。道には黄色い砂が積もっていまして、歩くと足跡が残ります。空から砂が降ってくる。もうしばらくすると道も車も砂に埋れてしまうのではないだろうか……そんな感じの朝でした。 |
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2010年3月17日 (貴州の旅-10) |
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雲南省との境、興義の街です。カップルがオートバイに載っています。女性の背には籠が。竹製ですね。ふと見ると、豚の脚が一本。家に帰ってあれを二人でかじるのでしょうか。春節ですし。いいですね。 |
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2010年3月16日 (貴州の旅-9) |
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雲南省との境に興義という町があります。そこでの朝食です。泊まったホテルが朝食を出せなったのですね。春節で従業員が故郷に帰ってしまったとかでした。普通の感覚では稼ぎ時なのですが、平和ですね。回教徒の食堂です。手前は牛の脚、ぶる下がっているのも干した牛肉。店の主人が手に持っているのはビーフン(米粉)です。この辺りではビーフンをよく食べます。同じ稲作をしてどうして彼らは米を粉にして面を作るのに、日本では粉にしないのでしょうね。小麦は粉にするのに。 |
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2010年3月12日 (貴州の旅-8) |
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黄果樹の滝はアジア一と言います。高さでしょうかね? 幅でしょうかね? それにしても、「アジア一」と言うの何とも。昔、世界の王、アジアの張本、というのがありましたが。実のところ黄果樹で一番面白いのは、滝の裏側を一周りできるようになっている、ということ。写真は裏側から滝を見た様子です。「やっぱり水が落ちているだけじゃん!」 その通りです。が、舞台のそでから舞台を見ているような独特な臨場感があります。 |
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2010年2月28日 (貴州の旅-7) |
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これまで「貴州の旅」で紹介してきたのはずっと安順を起点にしたツアーの写真なのですが、安順といえば黄果樹の滝で有名です。高さ66メートル。幅は80メートルから110メートル。季節の水量により違います。今は水が少ない時期ですね。多くなるのは夏です。ガイドさんの説明で印象に残ったのは、この滝は昔からずっとここにあったわけではないです、という話。じゃあどこにあったんだ? 「さまよえる湖」というのはシルクロードのロプノールですが、こちらは「さまよえる滝」? お分かりになりますか? 答えは、もっと川下にあった。それが徐々に川を登ってくる。滝は流れ落ちながらカルストの台地をすこしずつ削ります。一万年で10メートル削るのか100メートル削るのか分かりませんが、とにかく、滝は上流へ上流への動いている。そういう話です。面白いですね。最後はどうなるのでしょうね? |
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2010年2月24日 (貴州の旅-6) |
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菜の花を見に行ったのですが、それにしても菜の花だらけでした。半日バスに揺られて長角苗族の村に行き、帰路は六枝で棺桶を見て帰ってきたのですが、その間、ずっとカルストの台地と菜の花でした。こんなに植えてどうするのだろう。もちろん菜種油をとるのでしょうが、それにしても凄いです。走っても走っても菜の花。全身黄色に染まるような旅でした。 |
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2010年2月23日 (貴州の旅-5) |
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長角苗族の村からの帰り道、六枝というところを通りました。ここは棺桶造りで有名なのだそうです。「そろそろかな」と思ったら自分用に誂えて家に置いておく、とのこと。どんな気分ですかね。皆で棺桶買にいって、「おじいちゃん、これにしたら」とか孫に言われて……。写真はまだ作りかけでして完成品は全体に綺麗に漆が塗られます。お値段は。10,000元ほどとか。「それくらの値段なら2つ3つお土産に……」と言う冗談も若い時なら何でもないのですが、還暦を過ぎて周りでボツボツ「アイツが死んだよ」なんて話を聞く身としては言えなくなりました。 |
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2010年2月22日 (貴州の旅-4) |
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安順からカルストの台地を東に半日走ると「長角苗族」の村があります。写真のような頭なのですが、その頭のつくり方の実演をしてくれました。最初に木製の角を頭につけ、それに自分の毛を縫い込んだ毛糸を巻きつけながらこういう形にしていきます。この髪型は彼らの審美眼では美的に映るのでしょうかしらね。それとも他族と違っていたいから? |
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2010年2月21日 (貴州の旅-3) |
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緑色の春聯が掛かっていました。春聯は赤と相場が決まっていますのでガイドさんに尋ねますと次のような答え。お弔いがあった家なのだそうです。葬式が出ると、一年目は白。二年目は緑、三年目は黄色。これも600年前の南京の風習でしょうか? 少なくとも今の北京では違います。会社のスタッフに訊きますと「春聯は赤いものです」。それを聞いていた天津出身のスタッフ曰く、「天津では3年間、春聯は出しません」。トコロ変わればシナ変わる、ということでしょう。 |
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2010年2月20日 (貴州の旅-2) |
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貴州省の平地は全土の3%だそうです。「天に三日の晴れなく、地に三里の平地なく、人に三銭の金なし」。こんなふうに言います。残りは何かと言うと山です。それもカルストの石灰質の台地です。八寨のうちのひとつの村を訪れましたが、家という家は、壁も石屋根も石です。木がないのですね。『史記』に言います。黄帝は獰猛な異民族・蚩尤を滅ぼし帝位に就いた、と。その蚩尤こそが苗族であると言います。漢族との戦いに敗れ、敗走し、やっと辿り着いた平安の地がこの山だけの土地でした。しかし、そこにも明は統一事業のために屯田兵を送り込む。その送り込まれた屯田兵も石の壁石の屋根の家に住み、600年の歳月を過ごしてきた。漢族に生まれても、苗族に生まれても、勝っても、負けても、長い目で見れば意外と平等ということでしょうか。 |
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2010年2月19日 (貴州の旅) |
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貴州省に来ました。貴州省の省都は貴陽。その貴陽から西南へ120キロ。安順という市があります。ここにあるのが八寨。寨は「村」です。八つの村があるのですが、それらは、14世紀、明の創設者・朱元璋が貴陽・雲南に放った「屯田兵」の末裔の村だそうです。家族ともどもあちこちを転戦しつつ根をおろす。戦った相手は苗族でありブイ族であったわけですが、それから650年。今では自分自身も「老漢族」と呼ばれる「少数民族」になってしまった。この間ずっと中央から隔離され、いまだに明の時代の言葉を使い、明の時代の服装を身につけている言う。明が滅び、清が興き、中華民国になり、新中国になってもずっと「俺たちは明だ」と思ってきたと言うことでしょうか? その「老漢族」のおばあちゃんが村の祠で線香を焚いていました。その姿は、ひょっとして、600年前と何ひとつ変わっていない? そんなことってあるでしょうか。 |
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2010年2月13日 (もういくつ寝ると……7) |
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もう寝なくても良くなりました。夜の6時頃から絶え間ない爆竹の音に包まれ、窓から外を見るとあちこちの夜空に花火が上がっています。一歩外に出ると街中が写真のような光景です。これが何日も続きます。老いも若きも男も女も、なんでこんなことに夢中になれるのか……ちょっと不可思議ですね。 |
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2010年2月7日 (もういくつ寝ると……6) |
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大学の同級生からメイルをもらいまして、「お前は気楽に『もういくつ寝ると』なんてやっているが、こっちはもう3つ寝ると定年退職だ」と。「なるほど」、とその時はヘンに感心しましが、夜夢に出てきまして、「サラリーマンはいいな。俺なんかいくつ寝ても退職できないよ」とか「二つ寝るとか三つ寝るとか言うけど、Nはどうした? 寝たきりもう三年も醒めねえな。もう醒めるつもりはないんだろうね」とか大勢でガヤガヤ言っていましてね、よく見ると大学のクラス会で、皆髪が真っ白になっていて……。朝起きると外はうっすらとした雪景色で屋根がポツンポツンと白くなっています。昨夜の夢の中のクラスメートの頭もこんな感じだったな、と。こういうのは何か符合があるのでしょうかね? |
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2010年2月6日 (もういくつ寝ると……5) |
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春節の朝にはお父さんが子どもたちに手伝いをさせて門に貼ってある対聯を新しいものに取り替えたものなのだそうです。今は昔の話です。今では誰もがアパート暮らしですし、一人っ子政策で「子どもたち」にはなりません。写真が対聯です。私の部屋の三軒隣の住人はアパート暮らしでも対聯を貼りましたね。ちょっと気が早いですが……。ただ、それよりも、真ん中にクリスマスの飾りもありますね。これは、去年のクリスマスでしょうか、今年のクリスマスでしょうか。気が早いのではなく、遅いのか。もしかしたら、このウチは一年中が春節とクリスマスかしら? |
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2010年2月2日 (もういくつ寝ると……4) |
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出勤の時に気がついたのですが道端にプレハブの小屋が建てられていました。何かと思えば、春節の爆竹を売るための特設の小屋なのですね。裏にまわって一人で笑ってしまったのですが、「パンダ花火 政府は安心 市民は満足」という宣伝文句が書かれていました。 |
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2010年1月28日 (もういくつ寝ると……3) |
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朝の冷たさのなか列が出来ています。列の先を見ると「列車切符売り場」とあります。駅以外、街の所々にりばこういった切符の売り場があります。普段はひっそりとして目立ちませんが春節と国慶節の休みの前だけは長蛇の列ができます。列に並ぶのも帰省の一部、楽しい故郷はこうして少しずつ近づいてくるのです。 |
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2010年1月25日 (もういくつ寝ると……2) |
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福のなかに虎がいるのですね。まあ、とにかく、一方では準備が進んで行く。その様子を見ながら次第に雰囲気が盛り上がてくる。そうやって春節が一歩一歩近づいてくるのです。 |
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2010年1月24日 (黄砂?) |
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強い西風が吹きすさびました。空が黄色になって……黄砂でしょうか? まだ一月、ちょっと早いですね。ともかくも鬱陶しい空の下の日曜日でした。 |
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2010年1月23日 (もういくつ寝ると……) |
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春節のぼんぼりの準備が始まりました。今年の春節は2月14日。まだ3週間ありますが。でも、春節は中国で最大のイベントです。準備が始まったことだけでも人々の心をワクワクさせます。特に今年のように寒い日が続くと春を迎える喜びは大きいですよね。 |
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2010年1月17日 (地上100階) |
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上海の上海環球金融中心に行ってきました。地上100階474メートルの展望台です。床が一部ガラスになっていてそこから見下ろしますと、足下に豆粒のような車が走っていて身震いがします。隣にグランドハイアットが見えます。浴室がカラス張りになっていてお風呂に入りながら外を見ると雲が下にみえる、と言われたものですがそのグランドハイアットが全く見下ろすことになります。上海環球金融中心の展望台からは下を見下ろすと雲の合間に美女が入浴中のグランドハイアットの客室が見える、ということになるのでしょうか。 |
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2010年1月13日 (愚公雪を移す) |
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清掃係りの人が並木の根元に積まれた雪を撤去しようとしているのですが大変です。道に落ちている吸殻や紙くずを掃除するための小さな三輪車でやっていますので。7〜8人の男が凍った雪をカチカチと割って、三輪車に載せる。すぐに満杯になって……。必要なのは人数ではなく道具なのすが。愚公山を移す、の故事を思い出しました。 |
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2010年1月12日 (一週間経っても……) |
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雪が降って一週間以上経ちましたが歩道の雪は消えません。昼間でもマイナス10度ですので。滑らぬようにシャベルで砕いて、何故か、並木の根元に積んであります。車道には降った当日から大量の溶雪剤を撒いてとかします。溶雪剤というのは雪を溶かす薬ではなく、融点を低くする(つまり溶けやすくする)ものだそうで塩分を多く含みます。ですので、しばらく外を歩いて唇をなめると塩辛い味がします。地下水などへの環境を懸念する声もあるようですが……。 |
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2010年1月5日 (マイナス10度) |
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昼間でもマイナス10度ほどでした。何度か北京の冬を過ごしましたがこれほど寒い日が続くのは記憶にありません。ただ、寒いといえば、黒龍江省の黒河とか内蒙古の満洲里の寒さはこんなものじゃありません。マイナス30度の世界ですから。
http://www.tabichina.com/anomati/0203.htm 寒いといえばシリンホトの草原も……。 http://www.tabichina.com/anomati/010211.htm 吉林の樹氷を見にいった時も……。 http://www.tabichina.com/anomati/030209.htm 寒さの連想がグルって回りまして……寒さも楽しみのうち、ということでしょうか。 |
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2010年1月4日 (臨時休校) |
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北京市の小中学校は臨時休校だそうです。埋まっちゃうほど雪が降っているわけではないのですが。最低温度がマイナス14度との予想で、路面がカチカチに凍っており、風が強いことからの処置なのでしょうね。子供たちは大喜びで雪の中を駆け回っています。明日の予想はマイナス16度。そうなると40年ぶりの記録とか。 |
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2010年1月3日 (郵便配達) |
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起きたら雪でした。屋根屋根も道も雪の中。雪は夕方になっても降やみません。郵便配達の少年が自転車を押しています。吐く息は白いでしょうね。ハンドルを握る指はかじかんでいるのでしょうね。 |
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2010年1月2日 (年々有余) |
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スーパーマッケに長い列が出来ていました。何かと思えば魚売り場です。鮒でしょうか。お正月に魚を食べるのは中国人の習慣です。「年々有余」と言いまして、その「余」と魚が同じ発音なもので……。「年々有余」。庶民の暮らしと喜びが感じられて良い言葉ですね。ただ、「余」と「魚」が同じ音だから魚を食べようかって……。どうでしょうか? 門によく「福」という字を上下逆にして貼っているのを見ます。逆にすること「倒」と「福が到る」の「到」が同じ音だからという縁起です。私の中国の友人でこれを見る度に腹を立てるのがいましてネ。「馬鹿じゃないか」って。どうでもいいじゃないかって思いますでしょ。でも、私にはその気持が分かります。「魚」を食べても福を逆さまにしもどうにもなりませんでしょ。それを言葉だけで済ます。言葉の遊びだけで成し遂げたような気になる。社会としてそうなっている。それを怒っているわけです。中国は言葉の国です。暮らしているとよくわかります。でも、言葉だけの国かもしれません。真実も誠もない。ただ言葉だけ。お正月から難しい話になってしまいました。そんなつもりで書き始めたのではなかったのですが。 |
| 一期一シャッター過去ログ (2010年1月〜) |