《巡礼》

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(2) 来世のことだけが……

 ボテッとしたチベットの民族服は汚れでテカテカ光っている。顔は紫色に日焼けし、髪は荒縄で編んだかのようにボサボサである。同じような顔をして、同じような格好をしたチベット人が群になって、お堂の周りを廻っている。オム・マニ・ベメ・フム。オム・マニ・ベメ・フム。口々に真言を唱えながら、繰り返し繰り返しお堂の周りを廻っている。お堂の周りは、チベット仏教の約束通り、巡礼路として回廊になっている。そしてそこには、これまた約束通り、マニ車が等間隔に並べられている。巡礼の群も、約束通り、時計回りに、マニ車のひとつひとつを手で回しながら、廻っている。
 冬の冷たい空気のなか、厳粛さが漂う。ブツブツブツブツ。歩きながら唱える真言は、一心である。同時に、口々である。群となってのコルラ(巡礼として廻ること)ではあるが、祈りはひとりひとりの祈りでしかない。そこが、また、何とも言えない緊張感を生みだしている。

 ここは、甘粛省・ラブロン寺。チベット仏教の聖地のひとつである。毎日、甘粛省内のみならず青海、四川、内蒙古からも巡礼の人々の群が押し寄せてくる。押し寄せてきては、コルラを繰り返す。回廊を廻り、マニ車を回し、ブツブツブツブツ。
 幾度となく見てきた光景だ。それでも、その度に驚く。何とも不思議な世界だ、と。

   一休み中の六十過ぎと思われる男の巡礼に声を掛けた。
「どこからですか?」
「カンジャ」
 ガイドの王さんが解説をしてくれる。漢字では「甘家」と書くのだそうだ。寺の西北四十キロ離れた草原の村。
 そこから馬に乗り半日かけてやってきた。夜明け前に着き、四時間、こうして廻っている。四時間。真っ直ぐ歩いてゆくというならともかく、一週百五十メートルほどの所を廻り続けるというのは如何なるものか。
「何回廻るのです?」
「一万回」
 こともなげに言う。頭のなかで計算をする。一万回、一万回。一周二分で、二万分。二万分は、約三百時間? 三百時間て、何日?
 何と、七日かかるのだそうだ。夜は近くに野宿をしながら、一万回になるまで通い続ける。
「何のためですか?」
「一万回仏に出会います。そして、一万回祈り、感謝します」
「それにしても、何のため?」
「病気がちですし……」
 そう、病気を治すために……。いや、そうではない。
「この先そう長くはありません。いま、念ずるのは、来世のことだけです」
 来世? そんなものがあるだろうか?
   「……」
「次はもっと良い人間になって生まれてきたいのです」
「今世はあまり良くありませんでした?」
「いいえ。人間に生まれて幸せでした。感謝してます。ですから、来世も人間に生まれてきたいと願いますし、また、もっと良い人間になって生まれてきたいのです」
「フーン」
 薄暗い回廊。柱は赤、マニ車は金色。そこをうごめくように廻る人々の群。「オム・マニ・ベメ・フム」「オム・マニ・ベメ・フム」。輪廻転生の信仰が、いまなお、深く深く人々の心に生きている。
 何とも不思議な光景である。

 その場を離れても、しばらくは老人のことが頭から離れなかった。来世。一万回。思い出しながら、ふと思った。どうやって一万回を数えるのだろう、と。ガイドの王さんに尋ねる。
「手に持った数珠で数えると言うのですけど」
「数珠の珠は幾つ?」
「百八」
「それでどうやって一万まで数えるの?」
 彼も分からない。後で知り合いのラマに聞いて手紙をくれた。こうだそうだ。
 百が輪になっている。八つは、そこから直線として突き出している。百の方はスムーズに珠が動くようになっている。一方、八つは固い。一周ごとに、輪の珠を一個繰る。これで、百周まで数える。百周まで数えたら、直線の珠を一個動かす。そうやって、八百周まで数えられる。これで、八百なり千まで数え、今度は、どこか、できればオボのように聖なる場所に石を積んで一万を数える、と。
 なるほど。


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