《チベットの人々》

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(4) 祭り(ワンゴ)

 八月にチベットの農村を旅していると、よく、祭りに出会う。

 ツェダン近郊のユムブランカを訪れたときのこと。ユムブランカというのは、チベットで最も古いと言われる城で、紀元前127年に初代のチベット王が天から地上に降りてきて、ここに居を構えたのが始まりという。今でも復元された城が平野から急にポツンとせり上がった岩山の上に聳えていて、独特の迫力を放っている。
 さて、そのユムブランカへ登るべくの麓の村を通りかかると、農民が大勢集まっている。よく見ると、老いも若きも、着飾った民族衣装でに身を包み、傍目にも沸き立つような雰囲気が村いっぱいに漂っている。「祭りだ」と、一目で知れる。
 聞くと、じき行列がやって来る、という。
 行列! どんな行列? せっかくの機会だからと、待つことしばし。なるほど。やがて、遠くからボーッという笛の音が聞こえてくる。その方向を見やると、チベットの荒涼とした大地に黒い点が連なっている。人の列に違いない。大きな風景でもあり、遠くもあり、人が小さな黒い点にしか見えない。その連なった黒い点が、連なったままこちらに近づいてくる。その瞬間、「アリ」という言葉が脳裏をかすめる。前に述べたことのある西川一三の『秘境西域八年の潜行』のなかの一節を思い出していた。ポタラ宮を初めて見た場面だ。「この宮殿が今から三百年前に建立され、十五年の歳月を費やし、当時のチベットがもつ最高の技術と、最良の資材を投じ、最大の労力を用い、ついに空前の大事業を完了するに至ったものであると聞いては、再度驚き、まったく蟻のような奴らだ……≠ニチベット人に敬服した」。シチュエーションはまったく違うが、この言葉が頭のどこかに引っかかっていたのだろうか、とにかく、私はアリを連想した。
 ボーッという音が近づいてくる。アリたちも近づいてくる。アリがハエになり、カミキリムシになった頃には、人であることがはっきり分かる。先頭にラマ僧が二人いる。臙脂の衣をまとい、笛を吹いている。後には、男たちが幟を立てて続く。30人? いやもう少し。さらには、女たちが4,50人、何かを背負っているようだ。あとで聞くと、背負っているのは、それぞれの家に伝わる経文なのだそうだ。
 やがて、列は待ち受けた村人の前に到着すると、輪を描き始める。すると、あらかじめ積んであった枯れ草に火が点けられる。輪は、火を中心にグルグル回る。回りながら輪を縮める。幾重もの輪になる。先頭と後尾の区別がなくなる。ラマ僧は笛を吹く。行列は経を唱える。幟は風にはためきながら互いにぶつかり合うようにグルグル回る。女たちも経文を背負いグルグル回る。煙と笛の音と幟と経文がグチャグチャに混ざり合ったところで祭りは最高潮を迎え、そこで終わる。
 その間、見学の村人は大地に腰を下ろし、チャンと呼ばれる裸麦から造られる酒を飲みながらジーッと見守っている。終わると、そのまま三々五々家路につく。

 その間、アリが現れてから火が消されるまで、小一時間のことであった。あっという間だ。あっけないと言えば、あっけない。豊作を祈る祭りだという。もちろん、動作や道具立てひとつひとつに宗教的な意味が込められているのであろう。私にはその意味は分からない。分からないなりに、非日常的な凝縮された時が強く心の底に残った。いや、あっけないだけに、意味が分からないだけに、印象は強烈であった。三々五々帰る人々の背中はいかにも満足げであった。誰のためでもなく、誰に見せるためのものでもない。自分たちだけのための祭り。自分たちに必要があるからこそ祈り、火を焚き、踊る。
 おそらく、私が感じたものは、民族の誇り、というようなものだったのだろう。


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