《チベットの人々》

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(1) 遊牧の民

 東西南北。どの道を経てラサへ到るとも、五千メートルの峠を幾つも越えなければならない。荒涼とした草原が続き、その向こうには雪をいただいた六千メートル級の山々が連なる。
 そこで、私たちは遊牧の民に出会う。
 彼らは、悠々とヤクを追い、羊を追っている。
 こちらは、薄い空気と頭痛と吐き気でボーッとしているが、彼らは、実に悠々としている。楽しそうですらある。高山病で苦しんでいる遊牧民にも、空気が薄いと文句を言っている羊にも会ったことはない。

 人は、最高どのくらいの高度までなら、日常的な生活を営むことができるのだろうか?
 チベット族のガイドさんに尋ねてみる。
「どんなに高くても大丈夫ですよ。むしろ、低い方が問題で……」。
 たまに成都に降りてゆくと、すぐに疲労感を覚えるし、食べても食べても空腹感があるのだそうだ。低地病? それはともかく、人が住める高度に限界がないなんてことはないでしょう。
「そうかな、チベット人だって、エベレストの頂上で暮らすのは辛いだろうし、羊さんだってきっと嫌でしょうに」。
 その後、本を読んでいてこんな記述を見つけた。
「人間が日常的に生活できる範囲は、海面から大気圧がほぼ二分の一になる五三〇〇メートルまでとされている。大気圧は三〇〇〇メートル付近で約三分の二に減少し、八〇〇〇メートルに達すると、おおよそ三分の一に減少してしまうのである」。(柴崎徹「チベットの自然と遊牧民」・『チベット・曼陀羅の世界』所収)
 だとすれば、敦煌からラサへ入ったときのトト河からナクチュの中間、タングラ峠付近で出会った遊牧民は、ほとんど人類の生存の限界地点で羊を追っていたことになる。タングラ峠は標高5206メートルであるのだから。
 若い男女五人のグループだった。当然のことだが、「人類の限界」に挑戦しているなんてことも知らず、皆何の屈託のなくニコニコとしていた。その人なつっこさに誘われ、バスを止めて、ボーっとした頭で近づいていった。一番小さい女の子は十二、三歳に見えた。
「学校は行ってないの?」
 バカな質問をしたものだ。そこは「人類の生存の限界地点」だった。そんなところに学校を作ってどうするんだ。
「写真を送るけど住所は?」
 バカな質問だ。彼らは遊牧民だ。住所なんてないんだ。
 男も女も民族服を着ていた。特に男のそれは、泥や垢にまみれてテカテカと光っていた。そして、チベット人特有のバターの臭いのが鼻をついた。体臭でもあり、衣服の匂いでもある。
 顔は日に焼けて黒い。いや、黒いというよりも赤い。痛々しく赤い。日射しがあまりに強いのだろう。紫外線が彼らの顔を焼くのだろう。さらには、風呂にはいる習慣もない。ほこりと泥にまみれたままだ。日焼けと泥に、彼らチベットの遊牧民特有の顔色が作り上げられてゆく。それにしても、彼らは、何の屈託もなく、人なつっこさを身体いっぱいに振りまきながら、極限の地で悠々と羊を追って生きて